豊国神社 (豊臣秀吉を祀る神社)
方広寺の鎮守社
小見出しを入力します
豊臣秀吉の死去の翌年1599年、遺体が遺言により方広寺近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されました。
その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されました。
その際秀吉は東大寺の大仏に倣い自身を八幡として祀るよう遺言しました。
後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り鎮座祭が盛大に行われました。
この豊国神社の主祭神、豊臣秀吉が大名として統治した大阪城公園や滋賀県長浜市、石川県金沢市のほか、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。
国宝 唐門 (重要文化財)
1662年6月慶長伏見地震の際、豊国神社周辺に被害が無かった為地震除けの流行神とされました。
明治天皇が大阪に行幸したとき、秀吉を天下統一しながら幕府は作らず尊皇の功臣であるとし豊国神社の再興を布告しました。
1873年(明治6年)別格官弊社に列格し1880年(明治13年)に方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿を移築し遷座が行われました。